ミニマリストってぶっちゃけ災害対策できている人っていませんよね。災害対策ができていないと地震などの天災が起きたときに困ることになります。私の経験上、ミニマリストは災害対策がしやすいライフスタイルだと思っています。どのような対策が有効か解説します。
岩手県で東日本大震災に被災した
2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。当時、岩手県の盛岡市に住んでいました。午後に地震が起きていつになっても停電から復旧しないのが不思議でした。岩手県はかなり冷え込む時期だったので、電気無しで毛布に包まって過ごす夜は非常に寒かったです。次の日の朝になっても停電したままだったので、何かが起こっていると次の日にやっと気が付きました。
当時災害対策を行っていなかったので、食べ物に困りました。近所の魚屋さんがやっていた炊き出しでご飯を分けてもらったり、コンビニに並んで現金で食料を調達したりしました。コンビニの開店のタイミングに居合わせたのはラッキーでした。もしかすると食料が手に入らなかった人もいるのではと思います。
今思えば、寒い家にいるよりも避難所へ行けば良かったなぁと思います。避難所であれば毛布が配布され、暖房の入った体育館などで過ごすことができたと思います。
震災の翌日の12日に困ったことは、水道から水が出ない、断水状態になったことです。県庁で水の配給をしているという話を聞きましたが、水を運ぶ容器がなかったので利用できませんでした。しばらくして知ったことですが、停電中はマンションの水を汲み上げるポンプが動かなくなるので、マンション内の水道は使えなくなるようです。しかし、マンションの外の水道は使えたとのことです。
都市ガスもなぜか使えませんでした。また、当時は車を持っていなかったので関係ありませんでしたが、ガソリンスタンドでは、ガソリンの給油制限も行われていたそうです。震災後は高速道路が復旧するまでスーパーの商品の品薄が続き、食料品の確保に苦労しました。売れ残っていたマカロニを茹でて、パスタソースをかけて食べる生活を続けた記憶があります。
当時はスマホがまだ普及していなかったので、停電してしまうとこういった情報は一切手に入らない環境でした。災害時における知識は、事前に勉強しておかないと役に立ちません。
災害に備える必要性
日本では定期的に大規模な地震災害が起きています。「大震災」と呼ばれている地震災害に生涯で2、3度遭う可能性があります。過去30年に発生した大震災を列挙します。
- 1995年1月17日 兵庫県南部地震、通称「阪神・淡路大震災、阪神大震災」
- 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震、通称「東日本大震災」
- 2016年4月16日 熊本地震
- 2018年9月6日 北海道胆振東部地震
このように5年に1回くらいは何かが起こると考えておいたほうが良いくらいの頻度で災害が起きています。
ローリングストックとは
私がローリングストック法を知ったのは、イオン株主になると送られてくる「中間報告書」を読んだからでした。
ローリングストックとは、普段の食事でも使うレトルト食品や長期保存可能な食品を3日分備蓄しておき、消費期限が切れる前に買い替えて消費することを繰り返すことです。
このように普段から意識しないで消費できる食品をストックすればいいだけなので、ミニマリストでも簡単に始めることができます。むしろ定番のモノを買い続けるスタイルじゃないと続けることができません。食べる食品の定番化をすることだからです。
ペットボトルの水は3本、鯖缶は10個などどルールを決めるだけです。いわゆる「定数」を決めておくことです。大学病院でもストックしておく薬の数は「定数」で決められており、在庫過剰にならないように管理されています。
メリット
- 被災直後の食料確保に悩まされなくなる。
- 意識しないで生活に取り入れることができる。
デメリット
- ストック可能な便利な食品は割高な場合が多い。
- カセットコンロやレトルト食品を温めるための調理用の水の確保をしておく必要がある。
おすすめの食品
これから紹介する3種類の食品があれば十分生きていくことができます。被災時に定食のような食事をすることができる準備をする必要はないと思います。
缶詰
開けるだけで食べることができます。鯖缶、さんまの蒲焼き、ツナ缶、焼き鳥など種類も豊富です。
レトルトご飯
お湯で暖めるだけで食べられるものを選びましょう。停電時には電子レンジは使えません。
ペットボトルの水
なるべく消費期限が長いものを選んでおきましょう。
まとめ
- 災害は5年ごとに起こるものだと思って対策を立てよう。
- ミニマリストは「食品のローリングストック」の概念を持つだけで、被災時の食糧問題に対応ができるようになる。
- ミニマリストにとって定番のモノを買い続ける「ローリングストック」は普段から服や消耗品でやっていることと同じである。